最近思う事とかの巻。

ちょっと前に今やっているNHK朝の連続テレビ小説を見たら、演出がやけにマンガっぽくて、カラマワリしているように感じ、そういえば最近のドラマはいつのまにやら演出がすごくマンガっぽいのが多いな~と。というよりマンガのドラマ化だったりして。

喜怒哀楽をまるで記号のように並べることで物語が進んでいくような感じで、さらに物語自体もすでにパターンにはめ込んだ記号で、それが「マンガっぽい」と感じる原因なのかな?

そしてコレも最近思うのが、ドラマ仕立てのPVのアノ感じ。歌に合わせて、思わせっぷりなドラマが展開されていくアノ感じ。なんとなくケツメイシの「さくら」
前後から流行り初めたように感じるのですが、な~んかコレも表面的すぎるんだよな~

サクラの花びらが舞い散る所に、女の子のスローモーション。綺麗で切なげな映像を繋げているんだけど、表面的すぎてなんだかそれも記号に見えてしまう。「サクラ」「女の子」という綺麗なモノを並べただけの感じで。そもそもサクラの木ってあんな土手に生えていないし。

でもって最後は新海誠氏の作品。(うあ、ここにもサクラ)

この人の作品はデビュー作の「ほしのこえ」と「雲の向う、約束の場所」の二作をみまして。一人で作った「ほしのこえ」は三十分弱なので、見る事が出来たのですが、長編の「雲の向う、約束の場所」は後半見るのが滅茶苦茶つらかったです。

東 浩紀「コンテンツの思想」での新海 誠と西島大介との対談を読んで納得したんですが、綺麗な背景の一枚絵をどれだけ動かさないで見せるか。そしてその事を意識して編集しているらしいんですよね。ギャルゲーのオープニングムービーという例えがこの本で例として出ていました。

画集のように見ればいいのですが、さすがに長編でそれはキツい。背景はとても綺麗なんだけど、物語がキツく、中二の独白のような台詞をしゃべる登場人物が全く魅力がないのが自分にとっては致命的でした。


なんとなく00年代って「キレイなもの」「セツナイもの」を並べて編集してわかりやすくラッピングすれば送り手はクリエイターとなり、受けては「泣ける~」って安易に共感して感動しちゃう時代だったんじゃないかしら。(時代でくくって良いのかしら?)

歌詞も音楽も映像も映画もドラマもアニメとかもなにもかも。

「萌え」なんてその最たる例だと思うな~。


でもな~んでこんな記号だけの表現ばっかりになってしまったんだろう?
今の所自分が考えるのは、2000年代に入って情報量がハンパ無く増えた事に関係するんじゃないかしら?タダでさえテレビで垂れ流しだった情報が、ネットの普及でビックバンの様に膨れ上がり、記号的なわかりやすい、目につきやすい表現じゃないと頭に入ってこなくなったなんじゃないかしら?

またはネットって自分の好みの情報しかアクセスしないから、好みが特化しすぎて記号みたいになってしまったとか。

う~んどうなんでしょうか?

ただね、思うに記号的なモノってもう終わりに近づいていると思うんだよね。マンガっぽい演出orマンガ原作のドラマに飽き始めているように、そしていまごろNHKがマンガっぽい演出をすることで、ダッさいな~と思ったようにね。

もう時代は次に向かっていると思う。
記号の羅列ではなく、もっと有機的な、立体的な物語や美しさ。映画「ブレードランナー」がレイヤーを何層にも重ねて未来都市を表現したようにね。

ソコにむかって自分は表現したいと思う。