記録される怖さの巻。

YouTubeを徘徊していたらこんな動画を発見。

報道解放同盟(自由報道協会)
http://youtu.be/snLVYyM4tlg

10.20小沢一郎民主党元代表・全国民参加型記者会見
主催:自由報道協会-6
http://youtu.be/FYiw01m2T9U

どうやら自由報道協会の主催する小沢一郎の記者会見にて、読売新聞の記者が小沢氏が答えているにも関わらず、しつこく同じ質問を繰り返し、そのために他の記者の質問が出来なかったようで、ソレに対して主催の自由報道協会上杉隆と岩上安身が怒っている映像です。

まあ記者クラブやら大手マスコミのやり方やら、確かにどうかと思うし、この読売の記者のやり方やらその後のいい分もどうかとおもうのですが、自分が一番怖いなと思ったのは、個人の失態が映像で記録され、ここまで公にさらされてしまうことです。

そりゃあフリーの記者よりも会社に守られている記者は顔は見えないし、そのリスクを負っていないのに(いないからこそ)ココまで偉そうでふざけた態度なんだと言ってしまえるのですが、でも全国、全世界にコレが流れてしまうってのはある意味暴力的な感じがしてしまいます。

特に編集されない映像の生々しさによって、その暴力性が増しているようにも思います。

最近は携帯でも映像がとれるし、誰でもそれをネットにアップ出来るのですが、なんでもかんでも記録されてしまうのはちょっと怖さを感じます。

人間の記憶って、良い意味でも悪い意味でも、いいように記憶されて残るものなのに、ココまで生々しく記録されてしまうと後々結構ツライ事になっていくんんじゃないかしら?
(まあジャーナリズムにはやはりこの正確な記録は大事だとは思うけど。)


原発デモでの衝突の映像を見ていてもそれを感じました。


でソレとは正反対の動画がコレ。

1970 日通記録映画 「花ひらく日本万国博
http://youtu.be/5yVvBW4p7z8

これは日通が70年の大阪万博の運搬に関わっているという記録映画なのですが、バックの曲も生演奏だし、映像はフィルムだしと記録する
コストが今よりも何百倍も高かったころの映像だな~と思います。

なにより「記録するぞ!!」という意気込みが凄く高いと思います。

まあ同じYouTubeにここまで正反対の映像があるってのが今っぽいのかな。