赤鬼も青鬼も泣かないようにの巻。

「泣いた赤鬼」という昔話がある。
自分はこのお話は子供の頃は知らなかったが、かなり大きくなってからラジオかなにかのネタとして知ったような気がする。
そしてそのストーリーに妙な違和感を感じていた。

で久々にそのことを思い出したので、ついてに調べてみた。

ウィキペディア・リンク

すっかり桃太郎やら浦島太郎やらと同じくらいの昔話だと思っていたら、初版が1965年とかなり最近のお話であることがわかった。

そして違和感。
自分がなにに違和感を感じたのかというと、青鬼の自己犠牲である。

昔話って感動系もあるけど、この「泣いた赤鬼」ほど意図を感じるほどのモノは無くて、もっとノンキでフワフワした部分の割合が大きいく感じる。(時に残酷なんだけどね)

このヤケに自己犠牲的精神をストレートに美談とし、美談とまでいかなくても最初からこの自己犠牲ありきで物語が展開してしまう所がすごい現代的でずっと違和感があったのです。

今回の都知事の「お花見自粛」発言でも、戦時中の話とからめて自己犠牲を良しとするようなことを言っていたけど、それを美談や英雄視してしまうには、あまりにも悲しい。

そもそも自己犠牲を強いられる人は自分で「自己犠牲しています。」なんて言わないし、自己犠牲をしろなんて説教しているヤツに限って偉そうに安全は位置からあ~だこ~だ言っているだけなんだけどね。

なるべくならば、ギリギリまで青鬼が犠牲にならない方法を探すべきではなかったのだろうか?

赤鬼・青鬼二人でバカみたいな歌を作って盆踊りで歌って踊るとか。
畑仕事を手伝うとか、川から水を引くとかね。

自己犠牲はあくまで最終手段。
そこまで市井の人々を追い込まないで欲しい。

そんなことをふと思った。
NHKクローズアップ現代で福島が故郷で、故郷のために原発で作業する人たちのドキュメンタリーを見て。