「けれどほんとうのテクノは一体何だろう。」の巻。

ツイッターにもつぶやいたのですが、最近テクノとはなんなんだろう?と自問自答する「テクノイローゼ」状態なんで音楽制作は休憩しております。

そもそもな~んでテクノイローゼになったのかというと、この前秋葉原ブックオフで、ふと音楽雑誌『remix』の2005~6年頃のテクノ特集の記事を立ち読みしまして。

するとそこに野田努氏の「 『I'm A Disco Dancer』 がテクノを殺した。(でテクノが死んだ。だったかな?)」という発言をken_go氏が書いてあって、「う~ん」と思ってしまい、

さらに雑誌コーナーを物色していたら、前からずっと探していた1995年のスタジオボイスでテクノを特集している号を発見!!(もちろん表紙はケンイシイのアニメ!!)

で鼻息荒く中身を見たのですが、なぜか凄く冷めてしまいました。

時代の空気感とテクノに対する妙な希望と高揚感。さらに始まったばかりのインターネットなどなど、中身はまさに90年代まっさかり。

「ああ、もうこの時代から15年も経ってしまったのか。もうこの時代には戻れないのだな・・・・」

と思ってしまったからです。さらに先に読んだ『remix』での発言が後になってボディーブローのように効いてきました。

そもそもデトロイトのミュージシャンが良くも悪くも口達者で、あ~だこ~だと発言しすぎて、受け手としてテクノに過剰な意味を持ってしまっていたのではないのかな?と思います。

「別に踊れればいいじゃん」でもいいじゃん!!
実際当時『I'm A Disco Dancer』みたいなデケデケ・ディスコ・テクノ大好きだったし。

それではあなたが今もこだわっている、そして作っている音楽としての「テクノ」とは何なのでか?

う~ん・・・・
わからないからこそ、自分は自分が思う「テクノ」を探して音楽を作ったり、音楽を聴いているのだろうと思います。それでいいのだと思います。

なんとなく、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる「ほんとうのさいわい」に近いモノのように感じます。

形がなく、人それぞれであり、つかめそうでつかみきれないもの。

(以下『銀河鉄道の夜』より抜粋)
「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕の体はなんか百ぺん灼かれてもかまわない。」

「うん僕だってそうだ。」

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」


ウ~ムこりゃホントにテクノイローゼだなw